ボローニャ、2日目、市立中世美術館、《ジョヴァンニ・ダ・レニャーノの石棺(一部)》

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ボローニャの市立中世美術館の展示品の中で、一番の好きだったのが、画像の、ヤコベルロ・ダッレ・マゼーニェとピエル・パオロ・ダッレ・マゼーニェが制作したジョヴァンニ・ダ・レニャーノの石棺の一部です。

ジョヴァンニ・ダ・レニャーノ(Giovanni da Legnano)は、民法と教会法、両方の法学者で、14世紀半ばまでボローニャ大学で教鞭をとっていました。1320年にミラノで生まれ、1383年にボローニャで亡くなりました。著名な教授だった彼の石棺ということで、彼の講義を聞いているボローニャ大学の生徒達が浮き彫りにされています。ノートを熱心にとったり、ほおずえをついて聞き入ったり、学生達の様々なポーズが微笑ましいです。立ち見の学生達もいますから、人気の講座だったのでしょう。いつの時代も衣装が異なっても「勤勉な学生達」は同じなのですね。

さて、この石棺を製作した、ヤコベルロとピエル・パオロ・ダッレ・マゼーニェは、兄弟ということなのですが、同美術館の同作品のキャプションで彼らの名前の下に表記されていたのが「circa. 1350-1409|1386-1403」でした。ジョヴァンニ・ダ・レニャーノが亡くなったのが、1383年ですから、これらの年代は、石棺の年代ではなく、彼らが活躍した年代を表記していると推測されます。私が現地で撮影した、このキャプションの写真も中途半端だったので、帰国後、この兄弟のことをいろいろと調べてみました。

まず、美術館のキャプションでは、Iacobello and Pier Paolo dalle Masegneと表記されていたのですが、「Iacobello」 ではなく「Jacobello」の方が正しいようでした。また、この兄弟は、ヴェネチアのサン・マルコ寺院などで仕事した後、ジョヴァンニ・ダ・レニャーノが1383年にボローニャで埋葬された時は、マントヴァにいたようです。その後、1388年にボローニャのフランチェスコ教会の祭壇画を担当した記録があります。これらのことから推測するにジョヴァンニ・ダ・レニャーノがボローニャ埋葬された1383年から1388年前後の間に、この石棺が作られた可能性が高いです。

今考えてみると、市立中世美術館の展示品のキャプションは、作品の年代ではなく、その製作者が活躍した年代が表記されていたことが、美術館としては珍しかったのですが、もう少しきちんとキャプションを撮影してくればよかったです。反省。

美術の歴史の中には、まだまだ知らなかったアーティスト達がたくさんいるという現実を痛切に感じたのでした。