ボローニャ、3日目、ラヴェンナ、サンタポリナーレ・イン・クラッセ聖堂、正面入り口

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サンタポリナーレ・イン・クラッセ聖堂に無事着きました(グーグルマップで確認したところ、バス停の名前は、「Classe Sant’Apollinare」でした)。ラヴェンナの市内からバスで20分もかかりませんでした。画像で見ると、一見こじんまりしているように見えますが、結構高さがある大きな建物です。この教会があるクラッセは、アドリア海に面しており、ローマ帝国時代から重要な港町として栄えていましたが、4世紀以降は、ラヴェンナと共に時代に翻弄されていきます。

まず、紀元後330年、コンスタンティヌス大帝が都をローマからコンスタンティノープルへ移動してから、紀元後395年、ローマ帝国は、西ローマ帝国と東ローマ帝国に分裂します。

その後、402年、西ローマ帝国皇帝ホノリウス(在位:393-423)が、西ローマ帝国の首都をミラノからラヴェンナへ移しましたが、476年に西ローマ帝国は崩壊。ラヴェンナは、ゲルマン人達に占領され、ゲルマン人傭兵隊長オケアドル(在位:476-493)がラヴェンナを統治します。

493年、東ローマ帝国の委任を受けた東ゴート族(ゲルマン人の一派)テオドリクス(在位:493-526)がラヴェンナを包囲。オケアドル殺害後、王としてラヴェンナを統治します(東ゴート王国建国)。テオドリクスの死後、娘のアマラスンタが継承しますが、紀元後540年、東ローマ皇帝ユスティニアヌス1世(在位527-565)の時代に、ラヴェンナは東ローマ帝国に占領されます。そして、東ローマ帝国は、1453年にトルコによって滅亡されるまで、ヨーロッパ文化に大きな影響を与えていきます。

西洋美術史では、この東ローマ帝国時代の美術様式を、帝国の都の旧名にちなんで、「ビザンティン」美術と呼びます。前述の東ローマ皇帝ユスティニアヌス1世は、ラヴェンナに訪れたことはなかったそうですが、重要な都市として、同地の教会の建築に力を注いだとされています。その中でも代表的な教会の一つが、このサンタポリナーレ・イン・クラッセ聖堂です。さて、中はどのようになっているのでしょうか。