マドリード、4日目、ティッセン・ボルネミッサ美術館、ジャン=アントワーヌ・ヴァトー、《休息》

IMG 8916

前回の作品を描いた画家は、ジャン=アントワーヌ・ヴァトーでした。

画像の同作品のキャプションによると、作品名は英語で《The Rest》、制作年「c.1709」となっています(ちなみに「c.1709」の「c.」は、「circa」の略語で「おおよそ」の意味です)。邦題は、《休息》でよろしいでしょうか。

西洋美術史で18世紀ロココ期の画家ジャン=アントワーヌ・ヴァトーと言えばパリ・ルーヴル美術館所蔵の《シテール島への巡礼》(1717)が代表的な作品として取り上げられることが一般的です。1717年、当時フランス王立アカデミー準会員だったヴァトーを「正会員」として入会させるために、新しい絵画のジャンル「フェート(フェット)・ギャラント(雅宴画)」が設けられました。その流れから、「フェート・ギャラント」と言えば「ヴァトー」と知られています。

「フェート・ギャラント」は、「贅沢な衣装をまとった男女が夢見がちに大邸宅の庭園を歩く様子を主題とした絵画」を意味します。今回のティッセン・ボルネミッサ美術館所蔵の《休息》ですが、どう見ても「フェート・ギャラント」らしからぬ場面が描かれています。この《休息》の制作年が1709年頃ですから、1712年王立アカデミー準会員に認められる以前に制作した作品と考えられます。

さて、この《休息》では、負傷している兵士達描かれています。彼らは、画面左側に描かれている美しい衣装をまとった二人の女性達を見ているようです。彼らの間には、質素な衣服の女性が幼い息子らしき少年と共に我々を見つめているようです。これらの描写から、ヴァトーは、戦地から命からがら逃げてきて、つかの間の「休憩」している人々を描いていると推測されます。ただし、木陰で休んでいる間も、人々の感情は、それぞれ揺れ動いているようです。

1709年頃、この《休息》で歴史の一コマをありのまま(のように)描いたヴァト−が、数年後《シテール島への巡礼》をはじめとした現実離れした「フェート・ギャラント(雅宴画)」を描くようになった経緯が気になります。