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フィレンツェ、番外編、私がやってみてよかったこと TOP3

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今日は、フィレンツェの旅(2015年秋)の番外編ということで、「私がやってみてよかったこと」トップ3を紹介します。

フィレンツェカードを買う
フィレンツェカードは、決して安くはありません。私の場合は、普通に入館料を各施設で払うよりも金額的にお得でした。何より「待たなくて入館できる」がありがたい。お金で時間を買うと思えば、決して高くありませんでした。ただし、72時間以内に効率的に動くには行き先の順番と時間配分を考慮することが必要でした(季節によっては、フィレンツェカード所持あるいは各美術館の入場券のネット予約をしていても、短時間ですが並ぶようです)。ちなみに、私は全て徒歩で回りました。
 
美術館は、なるべく開館と同時に入館する
私は、フィレンツェカードがあったので、入場券をネットで予約する必要も、入場券を買うために並ぶこともなかったのですが、ウフィツィ美術館は、開館時間の8時15分の30分前、朝7時45分に行きました。予約あり、予約なしで、入り口が異なっているので、受付がわかりにくいと聞いていましたが、やはりわかりにくかった!開館と同時に入る静かなウフィツィ美術館パルジェロ国立美術館サン・マルコ美術館は、格別でした。そして、美術館へ行く途中の観光スポット(ドゥオーモなど)も観光客も少なくて、よい写真が撮れました。
 
滞在中は、朝は同じカフェに通う

私は毎朝、Scudieri Firenzeへ行きました。優雅なテーブル席ではなく、毎回カプチーノとアーモンドクロワッサンをカウンターで立っていただきました。私が通っていた時は、入り口付近の受付で前払いをしてから、レシートを持ってカウンターへ向かうので、フィレンツェの人々に負けそうになりながらも、注文は通りました。有料の化粧室もきれい。毎回、朝から気分よく動けました。いろいろなカフェへ行く楽しみもあったのですが、朝は時短を心がけ、慣れたところに通いました。

画像は、フィレンツェの教会のファーサードの中で、一番エレガントだと思ったサンタ・マリア・ノヴェッラ教会です。同じイタリアの都市でも、自分の研究のために何度も訪れていたローマとは、別な意味で人生に刺激を与えてくれたフィレンツェ。今度は、ゆっくり訪れたいです。

フィレンツェ、5日目、この旅の最終日に思ったこと

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さて、帰国のフライトの時間が近づいてきました。最終日もドゥオーモの前に来ました。この旅の初日もここに立っていました。その時の私は「西洋美術が嫌い」でした。そいういう私は、西洋美術史の「専門家」です。当時の私は、何かを埋めるような気持ちで、一人でフィレンツェへ来ました。

そして、4泊5日の旅の間に、私は「何か」を埋めることができたようでした。その「何か」は、具体的に何なのか。お腹が空いた時に、食べ物を食べるように、感動が足りない時は、本物の美術作品に触れるということが、当時の私には必要だったと思います。ただ、その「何か」は、感動だけではありませんでした。

人類の歴史の中で傑作とされてきた芸術作品(絵画、彫刻、建築)を目の前にした時、知識は必要ありません。その時、「この作品は論文に使えそう」とか「あの研究者の論文の考えと異なる」とか考える必要もありません。自分は、その作品が好きか嫌いか。好きであれば、ただひたすらに美しいと思うだけでも良いのです。

そして、その作品に関する知識があれば、それは料理で言えばスパイスであり、より味わい深くなる。その知識の結集が美術史という学問なのかもしれないと思います。

美術史の研究者達の努力で「美術史の中の知識の一つ」が生まれる事実を私たちは忘れがちです。美術史という学問は、ただ作品を見て感想を述べる学問ではありません。裏付けできる証拠を集め証明が出来なれば「知識の一つ」にもなりません(もちろん、過去の作品になればなるほど、限りなく真実に近い推測が多くなります)。意外ですが、美術史は文系とはいえ、かなり科学的な学問です。

私が英国で書き上げた博士論文も美術史の知識の一つです。少なくとも英国の博士論文はそのようなものです。誰が何を言おうともそれは変わらない。日本の学界で「業績を増やす」ために、私はこれからも論文を書き続けたいのかと自分に問うた時の答えは「ノー」でした。なぜなら、私は西洋美術が嫌いになっていたのです(嫌いになった理由は、いろいろあります)。そんな私でしたが、フィレンツェで芸術作品の宝の山を目の前にして、ただ感動するだけでなく、日に日に仕事モード全開になっていきました。自分の中の美術史家魂に火がついたようでした。

美術史の研究者にとって、研究課題の作品が存在する現地まで行き、本物を見る事が、研究する上で大前提となります。本物を見ることは、自分の知識の裏付けになるからです。しかし、私は、西洋美術史(と東洋美術史)の一通りの知識があっても、今まで自分の専門以外の美術に触れる時間がありませんでした。自分の専門分野の論文を書くことで精一杯だったのです。

ですから、今回のフィレンツェの旅で、今まで自分の中に蓄積されてきた美術史の知識の一つ一つが、本物を見ることによって裏付されていく「素直な楽しさ」を私は初めて知りました。とはいえ、当時の私は「西洋美術が好き」とはまだ思えませんでした。しかし、今回の旅を通して、自分の中にある西洋美術史の知識の全てを可能な限り確固たるものにしたいという希望が湧いて来たのです。そして、このフィレンツェの旅から、美を巡る弾丸旅行が私の人生の一部となりました。

というわけで、次回からは、イタリア・ボローニャを起点とした私の弾丸旅行史上最も過酷な旅をお伝えしていきます。お楽しみに!

フィレンツェ、5日目、サン・マルコ美術館、フラ・アンジェリコ、《磔刑のキリストを礼拝する聖ドミニコ》

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フィレンツェ、最終日、サン・マルコ美術館(元修道院)を訪れました。聖アントニーノの中庭に美しい壁画が残っています。この美術館で、最も有名な《受胎告知》を描いたのは、フラ・アンジェリコです。画像は、彼が描いた《磔刑のキリストを礼拝する聖ドミニコ》(1442年頃)です。聖ドミニコ(1170-1221)は、ドミニコ会の創設者であり、サン・マルコ修道院は、ドミニコ会の修道士のための施設でした。ですから、この《磔刑のキリストを礼拝する聖ドミニコ》は、同修道院の中でも最も重要な壁画の一つと考えられます。

十字架にかけられているイエス・キリストの壮絶な姿にすがるようにひざまずく聖ドミニコ。生きた時代が異なる二人の人物が一緒にいることは不可能ですから、もちろん、空想の世界での出来事です。

十字架の上には、「INREIESUS NAZARENUS REX IUDAEORUM」の頭字語である「INRI」の文字が見えています。意味は「ユダヤ人の王、ナザレのイエス」というラテン語です。自らを「ユダヤ人の王」と名乗り、神を冒涜したという罪でイエスが十字架にかけられたことを表しています。

聖ドミニコの顔の表情やイエス・キリストの痛みが伝わってくるような写実的な表現が見事です。サン・マルコ美術館内のギルランダイオの《最後の晩餐》も、このフラ・アンジェリコの磔刑図も、新約聖書の中の悲劇の場面ですが、静かで美しい作品となっています。

フィレンツェといえば、ボッティチェリの優美な作品や、ルネサンス盛期の御三家(レオナルドラファエロミケランジェロ)の名品が有名です。しかし、このサン・マルコ美術館に展示されている作品(全部は紹介しきれませんが)を見ていると、フラ・アンジェリコやギルランダイオの時代にフィレンツェの美の基礎が築かれたように思えます。

4泊5日の旅で、サン・マルコ美術館に3回も訪れるとは自分でも意外でした。