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フィレンツェ、5日目、サン・マルコ美術館、フラ・アンジェリコ、《磔刑のキリストを礼拝する聖ドミニコ》

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フィレンツェ、最終日、サン・マルコ美術館(元修道院)を訪れました。聖アントニーノの中庭に美しい壁画が残っています。この美術館で、最も有名な《受胎告知》を描いたのは、フラ・アンジェリコです。画像は、彼が描いた《磔刑のキリストを礼拝する聖ドミニコ》(1442年頃)です。聖ドミニコ(1170-1221)は、ドミニコ会の創設者であり、サン・マルコ修道院は、ドミニコ会の修道士のための施設でした。ですから、この《磔刑のキリストを礼拝する聖ドミニコ》は、同修道院の中でも最も重要な壁画の一つと考えられます。

十字架にかけられているイエス・キリストの壮絶な姿にすがるようにひざまずく聖ドミニコ。生きた時代が異なる二人の人物が一緒にいることは不可能ですから、もちろん、空想の世界での出来事です。

十字架の上には、「INREIESUS NAZARENUS REX IUDAEORUM」の頭字語である「INRI」の文字が見えています。意味は「ユダヤ人の王、ナザレのイエス」というラテン語です。自らを「ユダヤ人の王」と名乗り、神を冒涜したという罪でイエスが十字架にかけられたことを表しています。

聖ドミニコの顔の表情やイエス・キリストの痛みが伝わってくるような写実的な表現が見事です。サン・マルコ美術館内のギルランダイオの《最後の晩餐》も、このフラ・アンジェリコの磔刑図も、新約聖書の中の悲劇の場面ですが、静かで美しい作品となっています。

フィレンツェといえば、ボッティチェリの優美な作品や、ルネサンス盛期の御三家(レオナルドラファエロミケランジェロ)の名品が有名です。しかし、このサン・マルコ美術館に展示されている作品(全部は紹介しきれませんが)を見ていると、フラ・アンジェリコやギルランダイオの時代にフィレンツェの美の基礎が築かれたように思えます。

4泊5日の旅で、サン・マルコ美術館に3回も訪れるとは自分でも意外でした。

フィレンツェ、5日目、サン・マルコ美術館、ギルランダイオ、《最後の晩餐》、猫

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サン・マルコ修道院(現美術館)の食堂に描かれているギルランダイオの《最後の晩餐》の続きです。前々回の画像では、イエス・キリストと彼の弟子である十二使徒が食卓に座っていますが、イエスを裏切ったユダだけでが、テーブルの手前に一人で座っていました。床に注目してみましょう。ユダと共にテーブルのこちら側に小さな動物がいます。猫です。猫は、「欲望」の象徴として、しばしば西洋絵画の中に描かれます。金欲しさに、銀貨30枚でイエスを敵に「売り渡した」ユダ。つまり、ギルランダイオは、「ユダの金に対する欲望」を猫で表現していると考えられます。確かにこの猫の瞳を見ていると、何かよからぬことを考えているようです。このように小さな動物でも、隠された意味があるのが、キリスト教美術の面白いところです。

フィレンツェ、5日目、サン・マルコ美術館、ギルランダイオ、《最後の晩餐》、ユダ

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有名なレオナルド・ダ・ヴィンチの《最後の晩餐》(1495-1498)が製作される以前より、フィレンツェでは、カスターニョやギルランダイオによって《最後の晩餐》が描かれていたとうことは、前回お話ししました。そのカスターニョギルランダイオが描いた《最後の晩餐》の構図には、共通点がありました。上の画像でもわかりますが、まず、食卓の真ん中にキリストが座り、その横には十二使徒の中で一番若いヨハネが眠っています。そして、一人だけ、食卓の手前に座っている人物がいます。その人物が十二使徒の一人ユダです。キリストを裏切った人物として有名です。

この最後の晩餐で、キリストは、ユダの裏切りと自分が十字架にかけられることを(ユダを目の前にして)弟子達に話すことになります。よく見るとユダ以外の人物の頭には、聖なる人物であることを示す光輪(丸い輪っかのようなもの)が描かれています。つまり、ユダは聖なる人物ではなく、我々と同じ一般人ということになります。そう考えると、ユダは、鑑賞をしている我々の世界(俗世界)側に座っているようにも見えます。悲劇の始まりのドラマチックな場面なのですが、ギルランダイオは、とても美しい作品に仕上げています。